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雛人形の衣裳


江戸時代中期の雛の衣裳は通常、金襴(きんらん)や綿などの裂が用いられていますが、その装束は、正式の有職(ゆうそく)とはかけ離れたものでした。

しかし、宝暦・明和年間(1760〜70)の前後より、公家のあいだでは、指導する摂関家の家流による有職故実に則「有職雛」が登場します。つまり、高倉流、山科流などの衣紋道による「有職雛」です。
男雛は「束帯(そくたい)」「直衣(のうし)」「小直衣(このうし)」「狩衣(かりぎぬ)」など、女雛は「五つ衣(いつつごろも)」「唐衣(からぎぬ)」「小袿(こうちき)」などの装束を着た雛人形です。この姿は、「町雛」にも影響を与え、明和年間(1760〜72)に江戸浅草十軒店(だな)の原舟月によって「古今(こきん)雛」が制作されるようになります。
これは、男雛は束帯、女雛は五つ衣や唐布に天冠という姿をしており、有職雛に近い装束となっています。この姿が、今日に制作されている「内裏(だいり)雛」です。

また、町雛の中には、東北地方の好みにあった、暗赤褐色(蘇芳色)の輸入裂や別染の裂を用いた、清王朝風のものもあります。これらは、京都でつくられ、北前船で運ばれて、最上川流域あたりにまで売られていきました。

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